リレーエッセイ・バックナンバー
「巣は空中のゆりかご」
7月はカヤネズミの子育てのシーズンです。雨上がりにカヤ原を歩いていると、オギやヨシなど、背丈の高いイネ科の草むらの中に、大人の握りこぶし大の緑色の草の塊が見つかります。これがカヤネズミの巣です。私がカヤネズミに関心を持ったのは、巣の造形の美しさに惹かれたのがきっかけですが、1500巣以上観察した今でも、新しい巣を見つけたときのワクワクする気持ちは変わりません。
アカネズミやハタネズミは地下にトンネルを掘り、そこに巣を作りますが、カヤネズミの住みかは草の上です。前足と歯だけで、器用にオギやススキなどの葉を裂き、それを編んで、地面から1.5m程の高さに球形の巣を作ります。生きた葉を利用するので、出来たての巣は鮮やかな緑色をしていて、本当に綺麗です。子育て用の巣は特にしっかりと編み込まれていて、外からは全く中の様子が分かりません。さしずめ、雨や風、怖い天敵から子どもたちや自分の身を守ってくれる「空中のゆりかご」ですね。
畠 佐代子(はた・さよこ/全国カヤネズミ・ネットワーク代表)
「まぼろしの巣」
カヤネズミの存在を知って以来、カヤ原があれば巣を探すという習性になってしまいました。が、自分一人で見つけたことは一度もありません。「まぼろし」という言葉がふと浮かぶこの頃です。
カヤネズミは、河原や水田近くのカヤ原に生息しています。長いしっぽに小さな耳、食べ物は主に草の実で、体重はほんの7ー8グラム(五百円玉くらい)しかありません。
そんな小さな命がカヤ原の中をカサコソ動き、球巣で子育てしているなんて、想像するだけでカヤ原が数倍輝いて見えませんか。
昔はどこにでもいたカヤネズミも、河川改修や農薬などのためにみるみる消え、今では絶滅が危惧される状況になってしまいました。食物連鎖の底辺であるカヤネズミが消えていくことは、何を示唆するのでしょう。まぼろしの巣を追い求めながら、車に乗り、パソコンを使い、スポーツジムで汗を流す暮らし。自然と便利さの間にある矛盾を、深く考えさせられる毎日です。
杏 有記(あんず・ゆき)
「河川敷つれづれ」
最近、親しみをもてる川づくりとして、人が川に降りやすいような護岸がされるようになってきました。土で作った緩やかな傾斜は、川遊びをする人にも、水辺の生物にも利用しやすい環境です。どんどん増えていってほしいと思います。
一方で、河川敷の「公園的利用」も増えています。ワンドを作ったり、散策道を入れて観察しやすくするのは賛成ですが、気になるのは河原に作られるお花畑です。春はオオキンケイギク、秋はコスモスなどが咲き乱れる河川敷を見ると、うーんとうなってしまいます。きれいな花を咲かせて人間は嬉しいかも知れませんが、河川敷の生き物はどう思っているでしょう?ヨシやススキ、オギが生えていないと、オオヨシキリやカヤネズミは巣を作れません。バッタは餌がなくて困ってしまいます。そうすれば、それを餌にするカエルも、ヘビも、トビも・・・。オオヨシキリが減ったら、カッコウも住めなくなります。
都市域に残された最後の緑地、河川敷。広い空間は人間にとって魅力的ですが、河川敷の生き物のためにも、オオヨシキリやカッコウが鳴き、カヤネズミが巣を作る環境をできるだけ残してやりたいものです。
山本 聡子(やまもと・さとこ)
「不要な物って大切な物」
最近、フィールドで使われるカメラは、デジカメがすっかり主流になりました。デジカメはその場で仕上がりが解り、加工もしやすいのでとても便利です。ただ、もともと写真は不確かな化学反応の結果を楽しむものだったので、プロの写真家でもなければ良い事だけとは限りません。
アナログ機種の場合は、使い方をアレンジすると、思いがけず良い写真が撮れたり、違う世界が垣間見られる楽しさがあります。これは、主に感光層の波長域が狂って、可視光域でない世界が写るからですが、デジカメは必要な部分だけを残したスマートな機械なので、そんな事は起こりません。
そう考えると、必要な事だけを残していくことって、すごくつまらないと思いませんか?もし人間に不要な物を全て除いた世界を作ったとしたら、そこの住人は外で住む事の出来ない籠の鳥です。同じように、不要に思える草むらも、実はとても大事な物なんですよ。野生動物にとっても、人間にとっても。
内田 憲二(うちだ・けんじ/カメラマン)
「私のカヤ原保全」
自然環境保全・保護活動にかかわる人なら誰でも一度は、「そんな1円にもならないことをして…」という言葉を投げかけられたことはないでしょうか。事実私などのような技術職なら、仕事として単価を出している作業をした時など、容易にその金額を想定出来ます。でも私はその仕事をお金を払ってくれる訳でもない、カヤネズミやトンボやカヤ原の生き物や植物達のためにします。
先日も重い荷物をもって駅に向かう途中、カヤネズミの保全を紹介する冊子を忘れたことに気づき、また来た道を引き返そうかどうか迷ったことがありました。戻らなくても誰に責められることもありません、ただカヤ原保全を宣伝をする絶好の機会を逸してしまうのです。本当にさりげない選択でしたが、その時私は今自分がしている保全活動というものは、誰のためでもなく自分が必要だと思うからしている事なのだと思い知り、来た道を引き返しました。
汚れた水辺ではなく、きれいな水辺を見ていたい。きれいな川に生き物がたくさんいて、いろんな草木が活き活きとはえているカヤ原を見て暮らしたい。そう願うのは私自身なのですから、誰に何を言われようと、背負った荷物が重かろうと、納得してがんばれるのではないかと思います。
西村 かおり(にしむら・かおり/イラストレーター)
「里山のカヤネズミ」
近年、「里山」という言葉が流行っている。
「里山」の自然の豊かさにようやく多くの目が向けられだしたのだ。ところで、その「里山」の起源はなんと縄文時代にまでさかのぼることができるという(鈴木三男「日本人と木の文化」)。日本列島に広がる落葉樹林と照葉樹林を舞台に生活するようになった私たちの祖先は、森林を切り開いて集落をつくり始めた。集落のある空き地から、そのまわりに草原、二次林、そして自然林とドーナツ構造をとって生活を始めたのが縄文時代であると考えられている。
おそらくその時から私たちの祖先は、身近な草原に生息するカヤネズミと付き合い始めたのだろう。初めてカヤネズミと出会った彼らの目にこの小さな生きものはどのように映ったのだろうか。燃料革命が起こる1960年代まで利用されてきた里山は、今、急速に荒廃が進んでいる。里山の歴史とともに営々と続いてきたカヤネズミの生息の場を私たちの代で奪い去ってしまうことは何としても避けたいと思う。
対馬 良一(つしま・りょういち)
「営巣シーズン到来」
暖かな風に乗って5月がやってきました。これからがカヤネズミにとっての本格的な営巣シーズンになります。6月の梅雨のシーズンにかけて、あちらこちらの草地では草丈がどんどん伸びていってることと思います。それと同時に、ちらほらと「新巣発見」の便りも届きます。
河川敷や休耕地などの草地では、去年に立ち枯れたオギやススキなどの後から新しい緑が姿を現してきます。オギやチガヤが伸びてきていれば、もうそろそろかも知れません。
1年のうちでも、今が営巣観察の適期と言えるでしょう。去年営巣していた場所とはまた違った場所に移り住んでいることもありますので、じっくりと周囲を散策なさってはどうでしょう? 巣が見つからなくても、ひょっとしたらカヤネズミの食痕が見つかるかも知れません。
いつものカヤ場でいつもと同じように営巣が観測されるような場所を、いつまでも残していきたいものです。
道券 孝之(どうけん・たかゆき)
「球巣の材料植物の名前が分かりますか」
私のフィールドである高水敷には、ツルヨシ群落がモザイク的に見られます。現在、群落高は2mを超えています。「新巣発見」の便りが聞かれる時期になったので、球巣を探そうとツルヨシ群落に近寄ってみました。すでにツルヨシは人の背丈以上に伸びており、しかも初めてカヤネズミの巣を探すとあって、なかなかツルヨシ群落の中に入っていけません。意を決して、「えいー」と群落の中に足を踏み入れてみると、1mも中に入らないうちに、鮮やかな緑色をした球巣が目の中に飛び込んできました。初調査で球巣を発見するなんて、何と運のいいことでしょう。
早速、球巣についての記録をとることにしました。地上から90cm。縦12cm、横8cm。順調に計測を終え、巣材を調べようとしたとき、ツルヨシ以外にイネ科植物が使われているのを見つけました。よく見かける植物ですが、植物名が分かりません。図鑑で調べても分からないし、ほとほと困り果ててしまいました。
イネ科植物の同定は、カヤネズミの生態調査には欠かせそうにありません。何種類かの図鑑を手がかりに、植物名にたどり着こうとページをめくるのですが、時間ばかりが過ぎてしまいます。「カヤネズミと関係のあるイネ科植物」なる参考書が欲しいこの頃です。
竹入 隆弘(たけいり・たかひろ)
「母のフィールド」
よーく考えてみると、私の母は今で言うところのナチュラリストで、母のフィールドに連れて行かれた思い出が、私の中で熟成し、私を「自然保護の心を持つ者」としたのかもしれません。
よーく考えないと、思い当たらないほど、母は平凡な主婦です。動物学者でもなければ植物学者でもない、ましてや、自然保護活動というべき行動を1つも起こしていない、家族の食事と身の回りの世話に人生を費やす女性でした。でも、生活の全体に、自然愛好的なセンスがありました。
私が子供の頃に住んでいたアパートには隣接する「原っぱ」があり、そこは、広い工場跡地であり、「空き地」と呼ばれる場所でした。「空き地」という呼び名とは裏腹に、そこは雑草が生い茂って、植物が満杯状態。そして、蝶が舞い、トンボやてんとう虫が飛び、バッタたちが跳ね回っていて、昆虫の「宝庫」となっていました。
母は、夕食の支度が早めにできると、夕涼みと称して、父の帰宅時間になるまで、この「原っぱ」に私を連れて出かけました。何をするでもなし、ただ、わさわさと、生い茂る雑草の中を歩くのです。花が咲いていると、ほんの数本、プチっと茎を折り、私の手に持たせてくれるのですが、自宅に持ち帰らないのがルールでした。「土に戻って来年に花が咲くための肥やしになる」というのが理由です。お花の咲くところだから、空き地にゴミを捨てない、などということも、幼い私の心の中での「常識」でした。道路はもちろん、学校の校庭もアスファルトで舗装された、東京っ子の私にとって、この空き地が、自然との接点でした。が、やがて、住宅や商店が建ち、空き地ではなくなってしまいました。
大人になって、母の真意を聞いてみたことがあります。
「どうして、私を、あの原っぱに連れて行ったの?」と。
母の答えはシンプルでした。
「一人で歩いてると不審に思われるから、お前を連れて行っただけ」。
母は、東京にでてくるまで畑と雑木林に囲まれた環境の田舎暮らしをしていたので、緑が好きだから、と付け加えました。母と一緒に雑草の中を歩き、まじかで、てんとう虫やバッタなどの昆虫を見たり、触れたりした経験は、私にとっては自然観察会でした。
自然の中に身をおくことというのは楽しいことなんだよ、自然は大事にしないとすぐに壊れてしまうんだよ、と、言葉でなく経験で、母から教わった感じがします。
中野 美鹿(なかの・みか)
「真夏のカヤネズミ調査」
30℃を越える炎天下。長袖・長ズボン・長靴・軍手・帽子・タオルを身につけて、いざ藪こぎ開始。足元はぬかるみズボンは泥だらけ。草丈は2mを越え、藪の中では風が通らず空しか見えない。顔に擦り傷をつくり服は汗でぐっしょり。
探すこと30分。「あった!」と小声で叫ぶ。直径10cm位の球形をした草の塊を見てにんまり。何やらメジャーを出して巣や植物の高さを測定し写真を撮って記録する。
エアコンの効いた部屋でTVを見ている常識人では想像できない行動が、今日も谷戸で繰り広げられている。全国カヤネズミ・ネットワークの1会員の球巣調査のシーンだ。
何が楽しいのか? 何のためになるのか? いちいちこんな質問に答えるのは面倒くさい。まあ、誰にも多かれ少なかれ、あまり他人に言いたくないことがあるものだ。
1年に1度は神様がご褒美をくれる。ご本尊にお目にかけさせてくれるのだ。そんな日は何かとてもハッピーな気分になる。これがあるから調査はやめられない。
荘司 たか志(しょうじ・たかし)
「秋の田の・・・・」
秋の田の 刈穂の庵の 苫をあらみ 我衣手は 露に濡れつつ(天智天皇)
早いもので新潟県内でカヤネズミの生息地を探しだしてから4年目になる。他の地域では春先からの営巣が続々と報告されるなか、私は秋になるまで球巣を発見したことがない。田んぼは春に田植えが行われるまではカヤネズミの棲めるような環境ではない。稲が大きくなるまでは水も張られているので移動も難しい。毎年営巣状況を観察しているマコモ群落も春先は長靴が沈むような湿地となっている。とてもカヤネズミがそこに生きているとは思えない。
秋になるまで、カヤネズミは何処に・・・・。稲刈り前の田んぼを歩きながら、毎年同じことを繰り返し考えている。まだまだ、世の中にはわからないことと知らないことがたくさんある。作業服の袖もなかなか乾く暇がないようだ。しかし、5年前の秋はもっとゆったりと過ごしていたような・・・。このところ、小さなネズミにすっかり振り回されている。
逢いみての 後の心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり(中納言敦忠)
藤塚 治義(ふじつか・はるよし/環境コンサルタント)
「身近な自然」
みなさんは自然と聞いて何を思い浮かべますか? ぱっと思い浮かぶのは風光明媚な場所だと思います。しかし、身近な場所にも意外と自然は残っています。
例えば、庭や花壇の土を掘ってみると色んな生き物が出てくるかもしれませんし、ツルグレン装置(※)を使えば、小さな土壌生物を採集できます。見た事も無い生き物に興味津々の子がいれば、怖くてキャーキャー叫ぶ子もいるでしょう。
私は、カヤ原について「ただの草むら」という認識しか無く、特に気に留める事もありませんでした。しかし、カヤネズミの存在を知り、彼らの作る見事な巣を見てからは、カヤ原がとても魅力的な場所に見えるようになりました。
ただ自然を守ろうと言ったり、自然を大切にしようと教えるのではなく、こういった小さな感動を積み重ねていく事が、自然について考え、身近に感じるきっかけになるのではないでしょうか。
※ツルグレン装置は土壌生物を採集するための道具で、簡単に作れます。
まず、ペットボトルを半分より少し上の位置で切ります。その切り口と同じくらいの大きさに金網を切り、口が付いてる方にはめ込みます。もう片方のぺっとボトルには、水を2〜3センチ分入れます。口の部分を下にして、水が入っている方にはめ込み、完成です。後は、採取した土を入れ、上に白熱電球などをかざして置いておくと、乾燥から逃れようと下へ下へ移動し、金網をすり抜けて、下に溜まった水の中に落ちます。
こうして捕まえた生き物の種類を調べれば、どれだけ自然が豊かかが分かります。ルーペでもかまいませんが、双眼実体顕微鏡を使えば観察しやすいです。
山西 秀明(やまにし・ひであき)
「五穀の復権に、ちょっぴり期待」
フィールドに吹く風が冬らしく乾いた音で駆け抜けるようになってきました。カヤネズミたちがすむオギ群落も、すっかり枯れ草色。
このごろ郊外の畑や、減反で土を盛られた水田跡などに、見慣れない大型のイネ科植物が盛大に育っている光景を見ることが多くなりました。大型のイネ科植物の群落を見ると、黙って通り過ぎることができないのが私たちの性分。植えられたものとわかっていても、つい近づいて中をのぞいてしまいます。
健康食として、ヒエ、アワ、キビなどをお米に混ぜて炊くのが静かなブームです。「五穀」に含められながらここ何十年も「小鳥の餌」に甘んじてきたこれらの穀類が、にわかに注目を集め、需要も高まっています。畑で目立ってきたのは、五穀としての復権と言えるのではないでしょうか。
我が家も毎日、五穀米を食べています。キビ畑に球巣が見つかる日を想像しながら・・・。
秋山 幸也(あきやま・こうや)
「インドア・フィールド」
フィールドと言えば、普通はアウトドア(野外)。だから、インドア(室内)のフィールドとは、おかしな話ですが、実は、私の「インドア・フィールド」は絵本や童話など出版物です。本屋で、ロシアの創作童話の本の表紙に描かれたネズミをみつけ、「カヤネズミに違いない」と感じ、さっそく本を開いて内容を確認したら、大当たり! など、野外のフィールドでの発見に似た感覚を味わっています。
絵本などの出版物を自分の「インドア・フィールド」にしよう、と考えたのは、英国絵本の中に描かれた野原の中に、カヤネズミを発見したことがキッカケでした。巣も上手に描かれていたので、遊び心で、カヤネット代表の畠さんに「営巣報告」として、絵本を提出してみたところ、思いのほか、大歓迎され、好評だったのです。その後も、絵本や童話の挿絵でカヤネズミをみつけるたびに提出しています。
なかなか野外活動にでかけるチャンスのない私だったので、絵本の中でみつけた巣によって営巣報告できたことは、とても嬉しい出来事でした。この時に得られた喜びと自信は、後に、野外でのフィールド活動を準備・展開するための大きな原動力にもなりました。
今、私は、もう1つ別のインドア・フィールドも準備中です。それは、私の裁縫箱。ここは、カヤネズミや巣の発見でなく、カヤネズミの保護・増殖の場となりそうです。実物大のヌイグルミを作って売ることで、カヤネズミ保護の啓発と活動資金を得る企画があると聞き、手芸好きな私としては、腕がウズウズしているのです。
自分にできること、が、わかってくると、ボランテイア活動が活発になってきます。
中野 美鹿(なかの・みか)
第15弾:「アスパラガスとカヤネズミ」
昨年は、相次ぐ台風と足のケガで畑の草は伸び放題、風にそよぐ草は、まるで草原のようです。
これではいけないと思い、草取りを始めるとつぎつぎに生き物が飛び出してきます。
ウンカ・アブラムシ・カ・アオムシ、それらを食べるテントウムシ・クモ・ハチ・カマキリ・カエル。
枯草の下からは、カスミサンショウウオやトカゲが出てくる。
青々とした草むらからシマヘビが顔を出し、イタチが駆け抜けて行く。
やっとアスパラまでたどり着いたと思ったら、コロンとカヤネズミの巣が転がり出てきました。
エノコログサの穂と茎をきっちりと巻き、アスパラガスの葉を飾った二個のカヤネズミの球巣です。
今まで、カヤネズミの巣を見たことの無い場所でしたが、草だらけになった畑が気に入ったのでしょうか。
一見害虫のウンカ・アブラムシ・カ・アオムシ等も、食物連鎖の中ではなくてはならない生き物なのです。
貴重な生きものだけを守れば良いのではなく、それらを取りまく環境も一緒に守らないと生きてはいけません。
小さな生き物も、何かの役を果たしているのです。
寺澤 和枝(てらさわ・かずえ)