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第16弾:「外来種被害防止法」

 日本の国には長きにわたって様々な国からいろんな動植物が持ち込まれてきました。
その目的も様々で、「食糧難を解消するために」「きれいだから」「愛らしいから」「人間の役に立つから」など、いろんな理由があります。

 それら、海外の国から持ち込まれた動植物は本来、日本には居るはずの無いものばかり。これらが、古来より残されてきた日本特有の生態系で引き起こす問題が無視できなくなり、法制度化されることになっています。今、生物の専門家や環境省の人たち、一般の人たちも混じって、どの生き物を規制するのがいいか?を取り決めようとしています。

 いろんな立場の人たちが、それぞれの意見を持ち寄ることで、これからの日本の生態系の「あるべき姿」を決めようとしています。これは大変に有意義で、また大変な作業だと思います。

 生き物たちは言葉を発しません。どのような環境を望んでいるのかも人間には伝わりにくいかも知れません。全ての生き物を幸せにするような法律作りはすごく困難なことだと思われます。

 今回の法案については、生き物と人とが真っ正面から向かい合う良いきっかけだと思います。そして、少しでも外来種による被害を食い止めるため、日本に持ち込む生物について、これまでよりもっと、深く考えていかなければならないのだと感じます。

 生き物のために、人がホンの少しだけ譲ること、これからもっと大切になっていくのではないでしょうか。

道券 孝之(どうけん・たかゆき)

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第17弾:「雪の上の足跡」

 世間は桜便りが北上中ですが、私の雪の日の楽しみをご紹介します。

 私は新雪の降った翌朝は木々に雪が残っている内に写真を撮りに出かけます。
降ったばかりの雪は表面にトゲトゲの雪の結晶が残っていてキラキラ光っています。
誰も踏んでいない雪の上を歩くのはとても気持ちのいいものです。
少しもったいない気分にもなりますが(笑)。
そしてそこには私より早起きの動物たちの足跡が残っています。
雪の上ではまるでビデオテープのように動物達の行動の様子が残されます。
まっすぐ山頂に向かって歩く狐の足跡。
冬枯れの草の種をついばむ野鳥やネズミの足跡。
それを追跡しているオコジョやテンの足跡。
それを見ているだけで、そこで暮らす動物たちの様子が頭のなかに浮かんできます。
きっと、私の足跡も後から来た人や動物たちに分析されているんでしょうね。

内田 憲二(うちだ・けんじ/カメラマン)

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第18弾:「春の川原で出会ったかわいい花」

 先日、旭川(岡山県)の植物を観察していて、ちいさな黄色い花を発見。早速、図鑑で絵合わせをした。オニタビラコ、コオニタビラコ、ヤブタビラコ。果実に冠毛がないので、コオニタビラコかヤブタビラコ。図鑑には、果実に角があればコオニタビニコ、なければヤブタビラコとあった。ルーペで観察して、ヤブタビラコと断定した。コオニタビラコは、春の七草のホトケノザに当たるらしい。ちょっと残念な気持ちだった。

 ところで、なんだか川原の景色がおかしい。こぶのようなかたまりが無数に見られた。シナダレスズメガヤの群落だ。分布を拡大して、他の植物の衰退を招いているという。外来生物による環境の撹乱がどんどん進んでいるというのだ。
 ヤブタビラコの生存に黄色信号点滅。ひっそりと生きてきたヤブタビラコに勝ち目は全くなさそうだ。こんなとき、オニタビラコの果実のように冠毛があればフワフワ風にのって遠くに行けるのに。また、コオニタビニコのように果実に角があれば何かの役に立つのに。私にとってはヤブタビラコとの初めての出会いだ。この個体に惹かれているのだった。この先が気になる。

竹入 隆弘(たけいり・たかひろ)

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第19弾:「不思議な魅力」

去年の初め、私は初めてカヤネズミの存在を知りました。
私の大学の先生の紹介でカヤネズミのプロ、畠さんに出会いました。
彼女は、何も知らない私に自分のフィールドを案内して、熱心にカヤネズミについて語ってくれました。

あれから一年半が過ぎ、私は今も大学でカヤネズミの研究をしています。
去年一年間彼女と一緒に研究をして私はひとりでは学べないものをたくさん教えてもらいました。
カヤネズミの知識はもちろん、それ以上に私たちがやるべきことの意味やどんなにつらくても諦めずにやり遂げるという強さを吸収できたと思います。
自分なりに生き物に対する思いを持ってこの分野に入りましたが、つらい調査や地道な保全活動に自分の無力さを感じたこともありました。
でも何年も一人で活動を続けている彼女と出会えたことで、私は見つめ直しこの分野での可能性を信じることができたような気がします。
 
フィールドには毎回新しい発見と出会いがあり、カヤネズミの巣のひとつひとつを見ても形や色の多様さには芸術的な魅力があります。
彼女と一緒にたくさんの不思議なものを目にした一年でした。
カヤネズミの巣を見つけたときの楽しさは、癖になる不思議な力をくれます。
大きな声で訴えてはくれないからこそ、こっちから耳を傾けてかすかな心の声を聞き取れたらと思います。

澤邊 久美子(さわべ・くみこ)

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第20弾:「蜂アレルギーひとまず大丈夫」

この夏、アシナガバチに刺された。ひと月の間に3度も。雑木林に侵入したクズやタケを駆逐しようと思い立ち、軌道に乗った矢先の事だ。チクリの後、じんわりと独特の不快感。刺傷の腫れはしこりとなって数日間残る。刺された後、周囲を観察すると握りこぶし半分ほどの巣があった。樹上に覆いかぶさったクズを引きずり下ろす時、間接的に巣を揺さぶっていたのである。攻撃の前ぶれは耳の後ろの方で聞こえるかすかな羽音?かな。いやいや、あと何度か刺されてみないとはっきりとした事は言えないはず。アシナガバチの抗体ができていないか検査してもらったところ、まだ大丈夫との事でほっとした。

知恵がついた。作業の準備をしながら現場の様子を観察し、作業中も昆虫の飛翔に気をつけるようになった。林内ではスズメバチ類も飛んでいる。独特の重たい羽音。でも攻撃性の強いオオスズメバチではない。出くわした時には作業を止め、刺激しないようにやり過ごす、ついでに木陰で一服。こうやってのんびりと、アマチュアレベルの山仕事を楽しんでいる。

引地 秀司(ひきじ・しゅうじ)

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第21弾:「『身近な植物』とは」

 8月下旬は地元の施設で小中学生相手の標本相談室のお手伝いをするのが恒例行事になっています。今年も小中学生の力作を多数見てきました。そこで感じたのは、「身近な植物採集」が年々難しくなっているのではないか、ということです。

 三尺バーベナ(和名:ヤナギハナガサ)が標本に混じって持ち込まれるのはもはや珍しいことではなくなりました。「近所の空き地で採集しました」という小学生の作品は、8割が園芸植物でした。「河川敷の植物を集めました」という中学生の作品にもハルシャギクやオオキンケイギク、アラゲハンゴンソウが混ざっています。

 夏休みは花の咲いている植物が少ない時期なので、その時期に花を咲かせている園芸植物が採集されがちなのは仕方がないことではあるのですが、それにしても何時から私たちの身の回りはこんなに園芸植物があふれてしまったのでしょう。

 「自然の植物が見たければ、山に行けばいい」という風潮もあります。でも「身近な自然」も大事な自然に違いはありません。それを花の美しい園芸植物だらけにしてしまうのは、やはりどこか間違っている気がするのです。

山本 聡子(やまもと・さとこ)

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第22弾:「秋の虫」

 この秋、ちょっとした異変がありました。いつもなら気に障らない秋の虫の音が、耳鳴りのように耳につくのです。これは…うわさに聞いた外来種の「アオマツムシ」ではないか?
 早速、インターネットで鳴き声を調べると、同じ音がスピーカーから流れ出てきました。

 以前から「在来の秋の虫の声をかき消してしまうほど大きな声」と聞いてはいましたが、これほどまでとは。ショックでした。秋の虫の鳴き声を快く聞けるのは日本人独特のことだと聞いたことがあります。でも、そこらじゅうでアオマツムシが鳴くようになると、「ただの雑音」として処理できる外国人の耳になりたい気分です。

 今年まで気にならなかったのは、それまでいなかったからか、それとも私が気にしていなかっただけなのか。カヤネットに入ってから、今まではまったく興味のなかったことを、実によくご存知の人たちと知り合うことが出来ました。アオマツムシに気づいたのも、きっとその影響でしょう。こんなことがあるたびに、自分の周りの環境について、ちっとも知らないで過ごしていることに気づかされます。

 カヤネズミはバッタを食べることがあるそうですが、アオマツムシの味はどうなんでしょうね。それにしてもこの大音量の鳴き声、カヤネズミの耳にも、人間と同じように騒音として響いているのでなければいいけど。

鈴木 えり子(すずき・えりこ)

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第23弾:「カヤ巣捜索中にはスズメバチにご注意」

オオスズメバチに危うくボコボコに刺される所でした。

裏山のカヤ原でカヤ巣を捜索中、見付からなくてウンザリしながら、棒で林縁を探していたら、ボスッと地面に刺さったんです。その一瞬、でかいハチが見えたので、反射的にバタッと死体へと変身しました。
直後から耳元をボワボワと怒ったハチ達が俺を捜して飛び回り実に怖かった。
巣から1.5メートルでした。羽音に混ざる独特の威嚇音が消えてから、痛いタイアザミの上をじりじり後ずさりして、無事に脱出する事が出来ました。

いや危うかった。
まず、灌木や蔓の混じらないカヤ場にスズメバチは巣を作らないんですが、林縁を甘く見ていました。 
『皆さん油断召されるな!!』

オオスズメバチは特に痛い。4カ所刺された時は痛くて頭がくらくらしました。
キイロスズメバチは、攻撃性が高く警戒範囲も広いです。何度刺された事か。
間違って巣を刺激してしまっても、2秒くらいは余裕が有ります。
映画の様に呻く演技は無し!その場に即死です。
子供連れの薮歩きは、リハーサルをしとかないと間に合いませんね。  
多くの痛い経験から、それしか無いです。

市販の毒を吸い取るポイズンリムーバーなどを用意しとくと良いです。一ヶ所ならかなり効きます。
ステロイドを上から塗っても殆ど効きません。痛み止めの錠剤が実用的。

皆さん  彼らが寒さで死滅するまでカヤ巣探しの時には油断無き様
独特の羽音に注意!!  恐れず野山の危険に立ち向かいましょう 

半場 良一(はんば・よしかず)

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第24弾:「今朝みつけたカヤネズミ」

風邪をひいて寝込んだり、叔父が亡くなったり、と、なんだか気持ち的にパッとしなかった今秋ですが、カヤネズミのおかげで、ちょっと気分のいい朝をすごした日がありました。
朝、起きてすぐに、カヤネズミをみつけたんです。

それは、台所の食卓の上でした。
葉の上で、目を開けたままジッとしていました。

台所にカヤネズミ?
何かの見間違いではないか?
と思われるでしょうけれど、実は、新聞の朝刊が、食卓の上においてありまして、その中に、折り込まれていた、別刷りのPR版に、カラー写真つきで、今泉先生の書いた記事が掲載されていたのです。
「ムササビ先生のどうぶつ日記」という題名の連載エッセイです。

昼間にススキの葉の上でじっとしているカヤネズミ、についての考察ですので、内容的にも興味深く感じてくれるカヤネット会員もいるだろうと思い、カヤネットのメーリングリスト宛てに、「新聞にカヤネズミの記事が掲載されてる」と投稿しました。

カヤネット会員としての「活動」は、正しい知識の普及啓発の部分もありますが、やはり、基本的には「営巣報告」ですから、野外でカヤネズミに出合ったり、巣をみつたり、という体験のできにくい私であっても、「自分も何か報告したい」と常に考えているのです。

誰かに先をこされまい、と、速攻で作文。
送信ボタンを押し、まもなく、自分の投稿を受信。
この時、ボーリングでストライクをとったようなはじけるような爽快感がありました。

中野 美鹿(なかの・みか)

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第25弾:「カヤネズミにありがとう」

今月、大学の卒業制作で取り組んできたカヤネズミの絵本が完成しました。
結果的に2年を費やしたのですが、当初は1ヶ月ぐらいで出来ちゃうだろう、
と気軽な気持ちで始めたように思います。

しかし、カヤネズミが減少している理由ひとつとっても、
生態系、文化、社会、経済、思想、という
様々な側面で考えなくてはならないことに気がつきました。

里山の放棄の問題における根深さ、
生態系を守る為に必要な文化の維持の必要性、
さらには、それを支える人のこころのありかた…などなど。
数珠繋ぎに、私の関心は広がってゆくばかり。
気がついたときには、調査研究だけで数ヶ月がすぎていました。

カヤネズミを助けたい、と思ってはじめた本作りの道。しかし、何かを助けたいと思い没頭してとりくめば、そこから様々なことを吸収して成長できる。逆に自分が助けられるのだ、とつくづく感じています。そのきっかけを作ってくれたカヤネズミに、こころから言います。

ありがとう!

乾 紗英子(いぬい・さえこ)

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第26弾:「冬の林の一コマ」

冬の雑木林は比較的見通しがいい。

パリパリに乾いた落ち葉をハデに蹴散らしながら熱心にエサを探すのはシロハラ。
やや控えめな方がコジュケイ。
ふいにヒラヒラ(フラフラと?)と舞い上がるのはフユシャクやテングチョウ。
小川の底ではドジョウも目を覚まして煙のように泥を巻き上げている。

カケスが2羽、何かに遠慮しながらそそくさと林の奥へ移って行く。
気になって待つこと5〜6分。
チョコレート色のリスが2匹、突然サワラの幹を逆さに駆け下りてきた。
地面から3メートル程の高さでいったん止まり、そのまま隣の木へジャンプ。
そのまま枝伝いにカケスの消えた方へ実に軽やかに走り去った。

リス属は、躊躇なく真昼間に行動してくれる数少ない野生哺乳類の一つだ。
結構大胆で気も強い。
そのうえ敵(人も含む)をからかうような仕草も見せるお調子者だ。
この日も、時々爪で幹をはがすような前足の動きと、尾を打ち振るような動きを
とりまぜながら、あきらかにじわじわとカケスを追って行った。

残念ながらその後どうなったのか知ることは出来なかったが、そんなことには
お構いなく、相変わらず落ち葉を蹴散らし続けるシロハラ。

私ばかりがあちこちに気を取られて喜んだりびっくりしたりで、なんだか、そ
れこそ冬の林そのものにからかわれているような気がしないでもない。
いつもしみじみそう思う。

松本 晶(まつもと・あき)

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第27弾:「カヤネズミの巣を見つける目」

 数年前まで、カヤネズミの巣を見つけた事がありませんでした。カヤネズミの巣を探そう!と思って、山手の畑の周りを歩き回って見つけられず、大きな川の河川敷に行って見つけられず。カヤネズミはいったいどこに行けばいるんだろう?と思っていました。

 2004年の秋、とある川にカヤネズミの巣を探しに行きました。一緒に行った連れが、先に巣を見つけました。そういう場所が狙い目か〜、と思って、似たような場所を探したら、ようやく初めて巣を見つけることができました。一つ見つかると、後は次から次へと見つかります。なんや簡単やん。

 2005年は、カヤネズミの巣を探して歩き回りました。あちこちで巣を見つけました。意外と、けっこう普通に生息しているようです。

 そして2006年、以前、カヤネズミの巣を見つけられなかった河川敷に行きました。あまり期待せずに探してみると、すぐに巣が見つかりました。あちこちにあります。以前はいったいどこを探していたのかな?

 何かを見つける目を身につけると、今まで見ていた自然がまったく違って見えるようになる。それは、とても楽しい体験です。カヤネズミの巣探しは、そんな体験をさせてくれました。おかげで、河川敷や耕作地周辺を歩くのがとても楽しい今日この頃です。

和田 岳(わだ・たけし/大阪市立自然史博物館学芸員)

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第28弾:「けなげに生きるカヤネズミたち」

 私のホームグラウンドは、東京を流れる小さな里の川。昔は、川沿いに田んぼが連なり、川の水を引いたの用水路ではコトコトと水車が回っていたという。今では、田んぼはすっかり減ってしまったが、それでも里の川らしい趣が残る自然豊かな川だ。

 「この川にもカヤネズミがいるかもしれませんよ」という知人の一言に触発されて、カヤネズミの球巣を探し始めたのは、今から3年半前のこと。すぐに一回りできてしまうような小さいカヤ原が点々とあるだけの川だが、下流から中流までの広い範囲で球巣が見つかった。「へぇ〜、そんなに見つかりましたか」と、私にカヤネズミを紹介した先の知人もその多さには驚いていた。

 ところが、球巣を探し始めて3年半の間に、もともと小さいカヤ原がますます小さくなってしまった。クズ、カナムグラ、アレチウリといったツル植物の絨毯に覆われてしまっているのだ。特に昨年の秋はどこもかしこも壊滅状態でため息が出てしまった。絨毯の間から孤島のように顔を出すススキ。絨毯の下に折り重なって倒れているオギ。「あ〜あ、こんなじゃ見つかるわけないな・・・」と暗い気持ちで調査を続けていた。
 そんな中、まさかと思った絨毯の中に、あの愛おしいカヤネズミの球巣があるではないか! 「こんな中でも生きていたんだ」と、初めて球巣を見つけたときのようにうれしくて、クズだらけの藪の中で一人万歳をしてしまった。
 一度、見つけてみると、他にも「たくましい」球巣が次々に見つかった。クズやカナムグラを巻き込んだ球巣、孤島のオギの天辺に作られた球巣・・・。しかし、「たくましいカヤネズミたちだ」と喜んでよいものか。これは崖っぷちに追い込まれたカヤネズミたちのけなげな抵抗なのかもしれない。

辻 淑子(つじ・よしこ)

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第29弾:「悲しい体質」

川や水路で魚の調査をしているとき、ふとヨシ原を眺めることがあります。
カヤネズミの球巣がないか、と。(←見つけたことはないんですが・・・)

でも、私はヨシやマコモに触れるとかぶれてしまうので、あまり青々と茂っているヨシ原には入ることができません。
同様に、私は魚の研究をしているのに泳げない、田んぼがフィールドなのにイネ花粉症、貝の研究もしているのに貝が食べられない、とフィールド調査や生物の研究には向いていない悲しい体質なのです。

意外に研究者には自分の研究対象なのに○○ができない、という皆さんが「えっ、マジで!?」と驚くようなエピソードがあります。
しかし、それでもこれらの困難に立ち向かわないと調査や研究は成立しないのです。
いかに研究成果が苦労の賜物であるかがおわかりでしょう。

カヤネットのメンバーにもきっと、○○ができない、××な体質だ、という方がおられると思います。
でも、そんな方々もカヤネズミのためなら・・・と必死になって、活動をされているのだと思います。
そう考えると、これまでのカヤネットの成果が集まるまでには、通常の努力以外にも相当な苦労があったのだろうと、自然とわかってくるような気がします。

私はまず、25mが泳げるようになりたいです。溺れたときのためにも。

金尾 滋史(かなお・しげふみ/多賀町立博物館多賀の自然と文化の館学芸員)

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第30弾:「環境番組の現場から〜ある大学教授のことば〜」

昨年8月、神戸空港の環境問題についてニュース番組の取材をしました。
神戸空港が建設されたため、大阪湾の環境破壊に拍車がかかったというものだったのですが…そこで、取材させていただいた土木関係の大学教授から興味あるお話を伺いました。

「環境アセスメントの影響評価は、ほとんどが軽微という言葉で終わっている」
というものです。

環境アセスは、専門家が環境への影響を調査・検討し、建築の是非を問うためのものと思っていたのですが…アセスが行われる時点で、建造物が作られるのは決定事項なんですね。だから、環境影響評価の結果としては、影響がないとも書けないし、あると言い切ることも問題がある。

そこで使われる都合の良い言葉が「軽微」。
軽微と聞くと、大丈夫なんだぁと思ってしまうけど、そこに生きている生物にとってはまさに天変地異。環境に対する保全運動が高まり建設反対をいくら訴えても、専門家の「軽微」の一言で山も川も海も本当の姿を失っていくんです。

この話を聞いて、本当に頭にきました!
この環境アセスのどこが、環境への配慮なんでしょうね?
環境を守る側の専門家がしっかりと発言できる場を作らなければと思う今日この頃です。

河野 久美子(こうの・くみこ/フリー・ディレクター)

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